2018年3月8日「Everyone Is Going Through Something 誰もが皆、何かを抱えている」


3月6日、キャバリアーズのオールスター選手であるKevin Loveが、”Everyone Is Going Through Something”と題し、自らが経験したパニック発作について、そしてその後セラピストとの対話を通して学んだ事をThe Players Tribune上で告白しました。 https://www.theplayerstribune.com/kevin-love-everyone-is-going-through-something/ その勇気ある行動が、1人でも多くの人に届けばと思い、本人の了解を得て和訳をしました。 英語が読める人は、是非原文を読んでください。 「誰もが皆、何かを抱えている」 11月5日、ホークス戦のハーフタイム直後、僕はパニック発作に陥った。 一度も経験した事のないそれは、どこからともなくやってきた。そんな事が本当にあるのかすら知らなかった。でも、それは現実のものだった。手を骨折したり、足首を捻挫したりするのと同じ、現実のものだった。あの日から、精神衛生に対する僕の考えのほぼ全てが大きく変わった。 僕は気を許して自分の内面を他人と共有する事がずっとできなかった。9月に29歳になったけれど、その29年間僕は自分の内面を周りから守ってきた。バスケに関して話をするのは自然にできたけれど、個人的な事を他人に話すのは、ずっと難しくて、振り返ってみると何年もの間、誰かに話す事ができたらどれだけ助かっただろうと思う。でも、それをしなかった。家族にも、親友にも、公の場でも。今日この日、僕はそれを変えなければならない。パニック発作に関して僕が思う事、そして発作後に何があったかを皆と共有したい。もしあなたが過去の僕のように誰にも知られずに苦しんでいるのなら、誰も分かってくれはしないだろう、という気持ちが分かると思う。幾分かは、僕自身のために、だけど大部分は精神衛生について声を上げられない人達のために、これを書いている。特に成人男性や男の子達は、この面で置いてけぼりになってしまっていると思う。 男の子は、男の子らしい振る舞い、というものを成長過程で早くから覚え、“男らしく”ある為に何が必要なのかを学ぶ。僕がそうだった。それは戦術書のようなもので、強くあれ、感情を口にするな、自分で乗り越えろ、と。29年間の僕の人生を通して、僕はその戦術書に従ってきた。男らしさやタフであることを称える価値観は普通すぎてそこらじゅうにあって、そして同時に目には見えない。空気や水のように僕らを囲っている。その意味では、鬱病や不安神経症によく似ている。 29年間、精神衛生は他の誰かの問題だと思ってきた。もちろん、人によっては助けを求めることや他人に心を開くことで恩恵を受ける事ができるくらいの事は知っていた。ただ、僕自身のものだとは、一度も思わなかった。僕にとって、精神衛生上の助けを求める事はスポーツでの成功を邪魔する弱さの一つの形、またはおかしな奴、周りと違う奴、と思われることだった。 そしてパニック発作が起きた。 それは試合中の事だった。 僕が29歳になって2ヶ月と3日が過ぎた11月5日。シーズン10試合目、ホークスを迎えたホーム戦だった。パーフェクトストーム(複数の厄災が同時に起こり破滅的な事態に至る例え)がぶつかろうとしていた。抱えていた家族の問題でストレスに苛まれていて、眠れていなかった。コート上では、シーズンへの期待が4勝5敗という(期待にそぐわない)記録と共に僕の肩に圧し掛かっていた。 試合開始直後から、何かがおかしい、とは感じていた。 奇妙な事に、すぐに息が上がってしまい、僕のゲームもただただズレていた。15分間プレーして決めたのは、たった1ゴールと2つのフリースローだけだった。 ハーフタイム後に問題は起きた。第3Qのタイムアウトでベンチに戻ったとき、心臓がバクバクしているのを感じ、息がつけなかった。描写するのが難しいのだけれど、脳みそが頭から出ていこうとしているかのように、全てがグルグル回っていた。空気は厚く重く感じられ、口の中はカラカラだった。アシスタントコーチがディフェンスに関して何かを叫んでいるのを覚えている。僕はとりあえず頷いたけれど、彼が何を言っているのか殆ど聞こえなかった。その時点で僕は取り乱していた。試合に戻る事は、文字通り身体的に無理で、円陣から歩き去った。 何かを察したルーHCが僕に歩み寄ってきた。僕は“すぐに戻ってくる”か何かを呟いて、ロッカールームへと急ぎ戻った。僕は(ロッカールームエリアの)部屋から部屋を、見つからない何かを探しているかのように走りまわった。心臓が鎮まってくれる事をただ望んでいた。まるで僕の体が“お前はもうすぐ死ぬ”と言おうとしているようだった。トレーニングルームの床に仰向けになり、何とか呼吸を保とうとした。 その後は鮮明じゃない。キャブズの誰かが僕をクリーブランドクリニックへ連れて行き、そこで幾つものテストを受けた。全て異常なしで、安心した。でも、病院を去る際にこう思ったのを覚えている。“ちょっと待て、(異常なしならば)じゃあ、一体何が起こったんだ?” 2日後のバックス戦に復帰し、チームは勝ち、僕も32得点を記録した。試合に戻る事ができ、自分らしさを感じる事ができてもの凄く安心した。でも、それ以上に、僕がホークス戦を去った理由を誰も見つけなかった事に安心したのをかすかに覚えている。もちろん少数の球団関係者は知っていたけれど、殆どの人は知らなかったし、だれもその事について記事を書かなかった。 数日が経って、コート上では上手くいっていた。ただ、何かが僕に圧しかかっていた。 “なぜ、他人に知られる事をこんなに心配しているんだ?” 目が覚めた瞬間だった。パニック発作が終わり、一番の困難は過ぎ去ったと思っていたけれど、それは間逆だった。なぜ起きたのか、そしてなぜそれについて話したくないのかを、考え続けなければならなかった。 烙印、恐怖、不安――何とでも呼べる。でも僕が抱えていたのは、個人的な内面の苦悶だけでなく、それについて話す事の難しさだった。周りから、頼りないチームメイトと思われたくなかったし、子供の時に学んだ(男らしくあれという)戦術書の事もあった。 これは僕にとって新しい領域で、とても混乱した。でも、一つだけ確かだったのは、あの起きた事を埋め隠して前に進む事はできない、ということだった。パニック発作と、その下に潜んでいるものを無かった事にしたいと願う自分もいたけれど、それを許すことは出来なかった。先延ばしにしてより酷くなってから対処したくなかった。それだけは分かっていた。 そして、僕は一見小さなようで、実際は大きな一つの事をした。キャブズはセラピストを見つけてくれて、面談を予約した。これだけは言っておく。まさか、自分がセラピストに会うとは、思ってもいなかった。NBAに入って2-3シーズン目、なぜNBA選手はセラピストを利用しないのか、と友人に訊かれた。僕はそれをあざ笑った。NBA選手が他人に内面を打ち明けるなんてありえない。(その時)僕はバスケを中心に育った20か21歳だった。バスケのチームでは、誰も内面の苦悶を口にしたりしない。僕の問題?僕は健康だ。バスケを生業としている。何を心配する必要があるってんだ?精神衛生を語るプロアスリートなんて聞いたことがない。(それをする)一人だけになりたくない、と考えたのを覚えている。正直、必要だと思わなかった。あの戦術書が言うように――自分で乗り越えろ。周りの皆がそうしているように。 考えてみると、おかしな事なんだ。NBAでは、選手の生活を微調整してくれる様々な分野の専門家達がいる。コーチ、トレーナー、栄養士は、長くに渡って僕の生活の一部だった。でも、この誰1人として、僕が(パニック発作時に)床で仰向けになり呼吸に苦しんでいた時に、僕が必要としていた形で僕を助けることができなかった。 それでも、僕は幾らかの先入観と共にセラピストとの最初の面談に行った。乗り気じゃなかった。けれど、彼(セラピスト)は僕を驚かせた。まず、バスケットボールは話の中心ではなかった。彼はNBAが訪問の主な理由ではない事を察していた。その代わり、僕と彼はバスケットに関係のない多くの事を話し、どれだけ多くの問題が、しっかりと見つめるまで認識できないであろうような場所から来ている事に気付いた。自分自身を知っていると思い込むのは簡単だけれど、一つ一つ層を剥がしていくと、どれだけ多くの事を発見できるか驚嘆した。 以来、僕と彼はおそらく月に2、3回、僕がクリーブランドにいる時に会っている。12月のある日、僕の祖母、キャロルおばあちゃんの話をしている時に飛躍的な一歩が踏み出せた。彼女は僕の家族の柱だった。僕の成長過程で一緒に住んでいた彼女は、多くの面でもう1人の両親のようだった。彼女は部屋に、それぞれの孫のための“祭壇”を持っていた――そこには写真、賞、手紙が壁に留めてあった。彼女は僕が称賛する、とてもシンプルな価値観を持っている人だった。僕は彼女に新しいナイキの靴をプレゼントした事があって、彼女はそれをもの凄く喜んで、その後数え切れないほど電話越しで感謝されたよ。 僕がNBAに入った時、彼女は年老いていた。そして以前ほど会えなくなっていた。6年間のウルブズ在籍中、キャロルおばあちゃんは僕に会うためにサンクスギビングにミネソタ訪問のプランを立ててくれた。けれど、直前になって動脈の問題で入院することになり、旅行をキャンセルしなければならなかった。彼女の容態はとても早く悪化し、昏睡に陥った。数日後、彼女は帰らぬ人となった。 僕は長くに渡ってひどく落ち込んだ。でも、この事に関してほとんど口にしてこなかった。他人におばあちゃんの話をする事は、まだどれだけ心が痛むかを確認させるだけだった。(セラピストと話す過程で)掘り下げていくと、僕が一番傷ついているのは、きちんとさよならを言えなかった事だと気付いた。彼女の事をしっかりと悔やむ機会もなく、彼女が亡くなる前にもっと良く接していたらと思うとひどく後悔する。けれど、彼女が亡くなって以来、こういう感情を僕はずっと押し殺して自分に言い聞かせてきた。「バスケットボールに集中しろ。後で対処するんだ。男らしくしろ」と。 おばあちゃんの話をしているのは、彼女の事を伝えたいからじゃない。今でもとても恋しく思うし、おそらく今でも悔やんでいるけれど、この話を皆と共有したかったのは、(セラピストに)話をする事が、それだけ目を見張るような体験だったから。セラピストと話をするようになってから短い時間で、(セラピストとの)あのような環境で口に出して話をする事が持つ力を見てきた。それは魔法のようなプロセスではなく、少なくとも僕にとっては怖く、気まずく、難しいものだ。話すだけで問題が解決されるものではないと分かっているけれど、話をする事で自分が抱えている問題をよりよく理解し、対処しやすくなる事を学んだ。皆が皆、セラピストに会うべきだと言っているんじゃないんだ。あの11月以来、僕にとって一番の学びはセラピストの事じゃない――助けが必要だった事実と向き合う事だった。 これを書こうと思った理由の一つに、先週、ダマー(NBA選手)が残した鬱病に関するコメントがある。何年もダマーと対戦してきているけれど、彼が何かを抱え苦しんでいるとは思いもしなかった。僕達はそれぞれの経験や困難を抱えて生きていて、時々自分ひとりがそれを抱えていると思ってしまう。でも現実はというと、僕らはきっと友達、同僚、近所の人と多くの問題を共有しているはずなんだ。皆が皆、抱えている深い秘密を打ち明けるべきだと言っているのではない。全てが公になるべきでもないし、人それぞれの選択だ。でも、精神衛生を語るより良い環境を作ること、それが僕らに必要なことだ。 ダマーが彼の話を共有しただけで救われた人達がいる。鬱病を抱えている事がクレイジーでもおかし事でもないと、僕らが思っているよりもっと多くの人達が感じたはず。彼のコメントが(鬱病に対する偏見の)烙印から力を奪ったんだ。そこに希望があると僕は思っている。 僕はまだ全てを解決していないことをはっきりと言っておきたい。自分自身を知るハードワークを始めたばかりだ。29年間、ずっとそれを避けてきた。今、僕は自分自身に対して誠実でいようとしている。僕の人生に関わる人達によくあろうと努めている。良い事物に感謝して楽しむ一方で、そうでないものにも向き合おうとしている。良いもの、悪いもの、醜いもの全てを受け入れようとしている。 僕が僕自身に言い聞かせようとしている事を記して、筆を置きたい。 誰もがみな、目に見えない何かを抱えている。 もう一度、記しておきたい。 誰もがみな、目に見えない何かを抱えている。 目に見えないから、誰がいつ、何を、なぜ抱えているかわからない。精神衛生は、目に見えないけれど、全ての人がいつかは触れるもの。人生の一部なんだ。ダマーが言ったように、その人が何を抱えているか、知る由はないんだ。 精神衛生は、アスリートに限ったものではない。あなたが何を生業としているかは、あなたを定義しない。皆に関することなんだ。どんな状況であれ、誰もが皆、痛みを抱えている。そしてそれを内側に閉じ込めておくと、それはもっと僕達を傷つける。内面を話さない事は、自分自身を本当に知る機会を奪い、助けが必要な人達に手を差し伸べるチャンスをも奪う。だから、もしあなたがこれを読んでいて、何かに苦しんでいるのなら、それがあなたにとってどれだけ大きな事だろうと小さな事だろうと、抱えている事を共有するのは、おかしな事でも変わった事でもないと覚えておいてほしい。 むしろ逆で、もっとも大切な事かもしれない。 僕にとってはそうだった。 ケビン ラブ


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