2015年2月17日のブログ「おじいちゃん」


今ごろ日本では、明後日と明々後日に執り行われる通夜と告別式の準備に追われているところだろう。僕はというと、アメリカのアパートで一人、おじいちゃんがひ孫二人と一緒に写っている写真を立てかけたパソコンのキーボードを叩いている。 訃報は、アメリカ時間の2月16日の朝、兄から電話越しで知らされた。朝起きると、数個の着信履歴と”起きたら連絡くれ”というメール。メールに用件を書かない兄の悪い癖を、またかと思いつつも、あえてメールで書かない理由がある可能性もこの時は考えた。 電話に出た兄の声のトーンで、今回はあえてメールに用件を書かなかったのだと知った。おじいちゃんが、亡くなった。 脳梗塞を起こして入院して久しく、87歳という高齢に加えて糖尿病や腎臓の機能の低下など悪い条件が重なっていたので、覚悟は出来ていたし、何よりも実感が湧かなかったので、冷静にこれからの予定を聞いた。 そして、自分の予定と照らし合わせ、飛行機のチケットを探した。今はオールスターブレイクという、シーズン中唯一のまとまった休み。自分がお別れに行けるように、この時期まで頑張ってくれてたんじゃないか、という思いがこみ上げた。 ブレイク明けにすぐ遠征という、融通の利かない仕事の日程の為、唯一可能なスケジュールは、大急ぎで荷物を詰め空港に直行し、通夜の前日の夜中に成田に到着し、翌日の昼、通夜が始まる前に成田に向かいアメリカに発つ、というもの。午後遅くに成田に到着してから静岡に向かう新幹線の最終運行までの時間が短く、東京で一泊しなければならない可能性も十分にある。そうすると、静岡にいられる時間は3時間程度。アメリカに戻る際に、雪の影響でフライトが送れて遠征に帯同できなくなる可能性もある。全てが上手くいったとしても、この強行日程の直後では仕事のパフォーマンスに影響が出ない訳がない。今年は契約最終年であり、新しい契約を勝ち取って家族を養うためには一日一日の仕事を疎かにするワケにはいかない。 何度も何度も行き来をした後に下した結論は、アメリカに残る、というもの。 おじいちゃんがひ孫二人と一緒に写っている写真を立てて、訃報を聞く前に予定していた通り、アパートの片付けをした。ちょっとパソコンの前で休憩しようかな、と思うと、おじいちゃんの写真が目に写る。そうすると、もうひと頑張り、ふた頑張りできた。 最近はパソコンの前でだらだらと時間を過ごしてしまう自分に危機感を感じていて、オールスターブレイクに入ってからはさらに拍車が掛かっていた。 そんな僕に、「しっかりせえよ」と喝を入れてくれるために、ちょうどブレイクの中間地点であるこのタイミングにこの世を去ったのかな、と思えてきた。帰国を諦める前は「自分がお別れに行けるように、この時期まで頑張っていてくれた」と思っていたくせに。こんな都合の良い孫を、許してください。 片付けが一段落すると、夕方は予定通りに食料品を買い物に出かけ、その帰りにrec centerに寄って小一時間のウエイトとシュート練習。「この身体にはおじいちゃんの血が流れている」、そんな事を考えながら身体を鍛えた。シュートは、本当に良く決まった。 時間が前後するが、昼前にフィオナに電話をし、おじいちゃんがこの世を去った事を伝えた。フィオナは僕が覚えていない事まで良く覚えていてくれて、そして一緒に泣いてくれた。 フィオナと結婚し、まだ住む場所も決まっていないミシガンでの生活に向けて渡米する際、おじいちゃんは、「二人が一緒なら、橋の下だって大丈夫だ」とエールを送ってくれた事をフィオナは良く覚えていた。僕が台湾に向かう際に、おじいちゃんがお土産にと持たせてくれた大量の素麺の事も。自分が受け入れてもらえるか心配だったフィオナに、この大量の素麺は意外な程の意味があったそうだ。国籍の違う自分を家族の一員として温かく受け入れてくれた事を、フィオナは本当に感謝している。僕も、心から感謝している。そんな話をした。 脳梗塞で倒れる前に、最後に会話をしたのはいつだろう。会ったのは、亮介の結婚式だから、2年以上前になけれど、ちょくちょく電話をした。周りに人がいる時に電話をかけると、あまり喋らないのに、おじいちゃんが一人の時に電話をかけると、こちらが驚くくらい、よく喋ってくれた。おじいちゃんが入院する前に電話越しに言った「たまには、帰ってこいよ」が忘れられない。わざわざ遠くアメリカで生活をする孫を、どう思っていたんだろう。きっと、傍にいて欲しかったんだろうな。でも一度として表に出さず、いつも僕達の安全を願い、応援してくれていた。 ブレイクが始まった直後にお見舞いに行けば、看取る事だってできた。訃報を聞いてすぐに飛行機に飛び乗れば、通夜には参列できずとも、お骨になる前の姿に会う事もできたかもしれない。それでも僕は今、アメリカのアパートに一人いる。 覚悟を決めて下したこの決断を、後悔はしないし、してはいけない。でも、その正否を僕は一生考え続けるだろう。おじいちゃんが今まで僕にしてきてくれた事を考えては、自分を責める事もあるだろう。でも、この判断に恥じない生き方をする事が今の僕が出せる、精一杯の答え。 入院中にお見舞いに訪れた愛子に頼んで電話越しだけどおじいちゃんと二人きりにしてもらった時に伝えた言葉がある。同じ言葉を、弔辞を読む亮介に伝えてくれと頼んだ。 おじいちゃん、僕たちが生まれてからずっと、愛してくれてありがとう。今までも、そしてこれからもずっと、大好きだよ。


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