2013年1月17日のブログ「大きな気付き」


滲んだ目に映る、見飽きたハイウェイの風景が、パッと開けた。 ニューヨークからミシガンに移ってきて4年弱、来年の今は、ここにはいない。どこにいるのかはわからないけれど。もしかしたら日本かも知れないし、台湾かもしれないし、このままアメリカかもしれない。はたまた他の国かもしれない。 多くの変化が待っているこの一年。この場で公言できる一番大きな変化は、長くに渡る学生生活に終止符を打つという事。仕事を見つけ、働く、という事。 ミシガンでの生活を始めたときに、それまでの各地を転々とする生活もあって、「この先4年間は次の場所を心配しなくてよい」という一種の安心を抱いたのを覚えている。その4年間が終わりに近づき、次のステージを探す時期になった。 日本での学生時代、卒業後に留学する事を目指していた自分は、就職活動の一環として自己分析に励む友人や他の学生を傍から見ていた。いざ自分の番となり、彼らの気持ちが分かった。なるほど、余計なものを(その"余計なもの"も自分を形成している一部分なのだけど)を限りなく削ぎ落とした自分の芯に近づく作業は、この時期に必要である。削ぎ落としたものが実は大切だと気づいてまたペタリと付け直したりと、行ったり来たりの自己問答を何度も何度も繰り返す。 そんな出口の見えない霧の中に光を射したのは、フィオナから伝えられた、2歳半の息子謙信が自分の留守仲に発した一言。 この半年間、家を空ける時間が長く、謙信が寝た後に帰宅して、起きる前に家を出ることもしばしば(働いている人達にとっては特異な事ではないのかもしれないけれど)。その状況を、2歳半なりに解釈しようとしていたその言葉は、余りに大切なのでここには書かないけれど、家に向かう車の中で思い出した時、涙が溢れてきた。涙の正体は、家を空けている申し訳なさでも、もっと一緒にいてあげたいという親心でもなく、もっと包括的で絶対的な、愛おしさ(字に残すのは、やはり少し恥ずかしいが、ここは頑張る)。 その瞬間、自分の芯に、ようやく手が届いた。 家族が何よりも大切。そんな事は、ずっと分かっていたし、そこに何の迷いもなかった。が、目指した「場所」に限りなく近づいたという事実と、そこから広がる可能性を、澄んだ心で削り落とす(諦める、とは違う)事は、別問題として常に存在していた。 自分がこの4年間、家族に我慢してもらって蓄えてきたのは、環境に左右されない力だというのに、「場所」に執着して、それに付随するものに思いを馳せるなんて、今になって思うと、なんとも幼稚で情けないのだけれど、そこに手をかけようとする事を無意識にブロックする自分自身が、なんというか、しぶとかった。 「夢を追っている姿に励まされる」と言ってくれる友人が、少なからずいる。そう言ってもらえることは嬉しかったし、自分自身、正直出来すぎなその過程を楽しんできた、楽しませてもらってきた。 今回自分が辿り着いた境地と、それが導く自分の次のステージと今後の歩みは、周りの人に同じことを感じさせないかもしれない。 でも、それでいい。それがいい。 本当の楽しみ、生き甲斐は、もっと内側の深いところにある。


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